株式会社後藤企画、後藤と申します。
自分は新宿にてウェブ解析士認定講座など、ウェブマーケティング系の講座を開催しております。2017年中にはおかげさまで講座、セミナーの開催回数が計1,100回を超えました。
現在ではウェブマーケターを養成する職業訓練校も行っており、ウェブマーケティングを4カ月学んだ方々を企業に紹介するという業務も行っております。他にも主に解析を基にしたレポートを用いたコンサルティングもしております。
現在こそ多くの方にご活用いただいておりますが、ここまで様々な紆余曲折がありました。この場を借りて、これまでを振り返ってみたいと思います。
ウェブ業界に入った経緯
自分がウェブに初めて関わったのは、Windows95が世に出た時代でした。
当時は企業の汎用型コンピュータ2,500台を遠隔で監視するという、システムの保守管理業務をしていました。業務時間ではエラーが起きなければ作業が発生しなかったので、空いた時間はシステム系の本を読んだりして過ごしつつ、世の中に広まり始めた「インターネット」も使っていました。
インターネットに慣れてくると、流行っていた「チャット」で多くの人と知り合いました。見ず知らずの赤の他人とつながって会話ができる、この新鮮さは今も記憶しています。
その中にはウェブサイトを作っていた人もいて、触発されて当時流行っていたサイト制作ツール「Dreamweaver」「Flash」「Fireworks」などのツールを使い、自分のウェブサイトを立ち上げてみました。
自分の手で記述したものが、世の中に公開できる。この体験が当時の自分には衝撃的で、この頃からウェブサイト制作にのめりこみます。更に新たな手法を組み合わせ、次第に複雑なウェブサイトも作れるようになりました。
その頃、趣味でアクセサリーを制作している母親から話があり、アクセサリーのオンラインショップを立ち上げたところ、中古パソコンを販売している企業から「うちのサイト構築も依頼できないか」というお話をいただきました。
当時、ウェブサイトの制作がお金となるということは知っていたのですが、まさか自分がそのような依頼を受けるとは思っておらず、意外と思いながらも引き受けるようになりました。そしてウェブサイト制作業に未来を感じ、「ウェブ制作」という仕事でフリーランスになりました。
理想のウェブサイトとは
フリーランスになってからは消火器のBtoBサイト、日本料亭サイト、テレビサイトなど、様々なウェブサイトに携わりました。しかし当時の自分は、
「正しい、または理想のウェブサイトというのはどのようなものだろう」
という問いを抱えており、独学のままでは明確な答えを出せないのではないかと悩んでいました。そんなとき、あるウェブ制作会社にご縁があり、ディレクターという立場でサイト制作の仕事に携わることで、一から学ばせていただくことになったのです。
ところが、当時のウェブの制作は1ページ作成することでいくらもらうというビジネスだったため、ページを増やす、コンテンツを増やす提案はするのですが、「正しい、理想のウェブサイトとはどんなものか?」という問いの答えは出ないままでした。
その後仕事から離れ、ハローワークに寄った際にある求人情報に目が留まりました。
「データを基にしたサイト提案をするコンサルティングの仕事」ーー その募集を見たとき、自分にはそれがとてもまぶしく見えました。データを基にした提案は、それまでの制作業務経験では無かったため、魅力的に感じたのです。
ただ、当時の自分にはハードルが高すぎる、そう思いハローワークをあとにしたのですが、1週間後に来た際にもその求人は残っていました。そこで思い切って電話をかけることにしたのです。その会社は、「環」という名称の企業でした。
データを基に行動する
「環」という会社は、今では別の組織となっていますが、ウェブ解析士協会の母体となった企業です。自分は3年弱ほど、環でシビラというアクセス解析ツールを用い、サイト改善、リニューアル等の提案業務に携わりました。
とはいえ、当時の自分はデータの読み方などわかりません。直属の上司であった小坂さんや江尻社長によくご指導いただきました。
- 解析とは成果をあげるために行うこと。大きな改善ポイントを量と率から見出すこと
- サイトによって運営目的は異なる。異なる指標を把握していくこと
- 顧客の声を集め、サービス改善に活かすこと
- ウェブ担当だからといってリアルは不要ではないこと
- 社内では施策の実現のためには時には根回しをすること
- サイト、リアルの課題を見つけること
- データから改善施策を考慮すること
- 改善施策について情報を常に仕入れること
- 手法、ツールに振り回されず、本質を抑える事
- 柳の下に2匹目のドジョウはいない
などなどです。
時には仕事のできない自分に、江尻社長が自らレポートの骨子を作成していただいたこともありました。上司の小坂さんや江尻社長は、我慢して自分を使っていただいたのではないでしょうか。お二人には今でも感謝しています。
思い出として残っているのは、ある電鉄会社のコンサル業務。朝5時までかかって作成したレポートを江尻社長に「感動した」と言われたことです。今振り返ると大変でしたが、そのときは苦労を感じませんでした。
また江尻社長の姿勢からも多くのことを学びました。ウェブ解析士という資格ができて初めてのテキストが届いたときです。社員が皆、本という形になって喜んで浮かれていた際、江尻社長だけがテキストに不具合を見つけ、返品していました。上に立つ人間は誰よりも細かなチェックをする目が必要ということを学びました。
花見の際も、お子様を連れながらも、わずかな時間を割いて読書されていました。そういった姿勢は独立した今の自分には、精神的に大変な時期に思い出して励みとなっています。
その後紆余曲折があり、環がソフトバンクテクノロジーの子会社となってからは環を離れ、後藤企画として法人化しました。そのタイミングでそれまで高田馬場で開催していた講座、試験の会場を新宿へと移しました。
新宿に移した理由としては、受講された方々にアンケートを取った結果からです。「新宿、渋谷、大手町、秋葉原、高田馬場でどこが一番受講しやすいでしょうか?」というアンケートをとった結果、新宿が一番多かったため、新宿に移ってきました。
「意思決定の際は、根拠のある数字を元にすること」ーー 解析の中で学んだことを習慣化していたので、数百万の敷金を必要とした大きな判断もスムーズに動けたのだと思います。
独立して
独立後には様々な企業様よりご相談があり、ウェブ解析士の知識を元に解析を軸としてコンサルティングさせていただきました。
代理店やウェブ制作企業様からも、
「今回のコンペは絶対に勝ちたいので数値を元にリニューアル提案をしてほしい」
「様々な提案を出してきているが、異なる視点での提案を出したいので解析を元にした提案を」
というお声をいただき、対応することもあります。
自分の講座は合間に実際の事例を入れるのですが「面白い」「理解が深まる」とおっしゃっていただけます。コンサル実務で解析業務を行っているからこそできるのです。テキストにも寄稿していますが「結婚紹介所の看板は、なぜ東京駅にあるのか」など、面白い話もできるので本も書けるかもしれません。講師はコンサルを実務でもやっていないと、説得力に乏しく、難しい仕事だと思います。
そして独立してわかったのは、会社員時代とは異なるプレッシャーです。文字通り毎日働き、常に360度見まわして意識することを心がけ、時間を数秒でも無駄にしないよう動くようにしています。
ただこのプレッシャーは、事業主という立場においてコントロールが効きます。そこが自分にとっては向いているようで、7年の間、講師業を続けられた理由のひとつだと思います。独立という選択肢は自分に向いていたのでしょう。
また最近は、いかに会社員時代の自分は時間、費用対効果を意識していなかったか、目的意識が希薄だったかということを感じます。そして多くのことに耐えることを学びました。独立は様々な現実をストレートに感じることができます。今であれば環にいた際、江尻社長の置かれていた状況を多少は理解できる気がします。
自分の役割
最近ふとした時に思うのは、
「人生で起きた出来事は意味があり、人にはそれぞれ役割があるのではないか」
ということです。
最近は東京都の認可を受け、職業訓練を行っています。
自分はフリーランス時代、仕事も少なく苦労しました。そんな自分と同じような境遇で道を迷っている人が、弊社の解析を中心としたカリキュラムを学び、就職に結びついてほしいという思いから行っています。
職業訓練を受講される方には意外なことに、ウェブ制作に携わっていた人も多くいらっしゃいます。そういう方も解析やマーケティングの授業を受けるにつれ、「これまでいかに何も考えず、サイトを制作していたかを思い知りました」と、ウェブサイトの指針が見えていないまま、制作されていたと言っていただけます。
おこがましいかもしれませんが、自分がウェブ解析を学んで講師業をしているのは、道を迷っていた過去の自分のような境遇の人に、道を示すためではないかもと思うのです。
今後は「正しい、または理想のサイト」とは何かということを解析という根拠を元にお伝えしていき、受講された方に人生を切り拓くためのスキルを身に着けていただけるような活動をしていきます。